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戻れないあのベランダからの朝日とヤクルトの日々

お題「人生で一番古い記憶」

私の人生で一番古い記憶は、ベランダで洗濯物を干す母親の背中を見つめている記憶である。私の手にはヤクルト、燦々と朝日が畳を照らしていました。

私は小さい頃からヤクルトが好きでした。


 

この記憶は多分、まだ幼稚園に行く前の2歳くらいのような気がします。

私は小さい頃から家にいるのが大好きでした。朝日を浴びながらヤクルトを飲む。私にはそれがとても嬉しい時間でした。
不思議なものであの頃の朝の光は今見るどの朝日よりも輝いていて、美しいように感じます。

その頃、母親とどんな会話をしていたのかは覚えていません。ただ、母はいつも私に笑顔で何かを語りかけてくれていたような気がします。

あれから数十年が過ぎても、私はあの頃が一番幸せだったような気がしてなりません。
ここまでの人生、いろいろなことがありました。悲しいこと、苦しいこと、大変だったこと......もちろん良いこと、嬉しいことだって沢山経験しています。

それでも、あの朝日を浴びながらヤクルトを飲んでいた瞬間が私の人生で最も幸せな瞬間だったのだと思います。

社会人になって思い返すと、私は最初からずっと集団生活が苦手です。
それは小学校に通う前、幼稚園の頃からずっとそうです。

幼稚園に行くのが嫌で、ずっと家に居たかったことを覚えています。家でずっとゴロゴロと遊んで暮らしていたい。私は根っからのインドア人間でした。

他人がいる空間が苦手でした。負けず嫌いな性格で、それでも周りと比べるとおっとりしていた私は、いろいろな場面で揶揄われたり、いじめられたりしたものです。

両親に見守れら、家という外界と遮断された空間でのんびりと過ごす、確かに今の私から見てもとても幸せな幸福な生き方だと思います。

もう手に入らない、幸福な時間です。

さて、一番幸せだったのが、生まれてから2年目くらいだった私の人生は、それからずっと緩やかに下り続けているのでしょうか。

これから最高地点を越えるくらい上がることはないのでしょうか?

それはわかりません。

ちなみに、今が一番どん底ではないことは確かです。多分、人生で二番目に幸せな時間を過ごしているのかもしれません。

あの朝の時間には勝てないですが、今の私は幸せだと思います。

私が主役だったのは、あの朝日を浴びてヤクルトを飲んでいた頃だけでしょう。それ以降はずっと誰かの人生の脇役です。

それは時に友人、父親、嫌いな人、そんな誰かの人生の脇役です。

脇役人生は嫌だ!と思いいろいろなことを始めた時期もありました。その尽くが三日坊主で終わるのですがね。詳しくは下記記事をご拝読頂ければと思います。

 

lastneet.hatenablog.com

いくら何かにチャレンジしても、継続できず、何かに没頭することはありませんでした。多分、私はあの朝日を浴びていた頃、一番古い記憶の頃が幸せすぎたのです。

あの瞬間に人生で一番の幸福を満足感を得てしまっていたのです。

私は心の何処かであの頃に戻れたらと常に考えている気がします。

私はとても後ろ向きな性格なのでしょうか?
常に過去を振り返っている気がします。後悔ばかりの毎日です。それでも前には全力で進んでいたい。

例えるなら、バック走で全力疾走するような、そんな人生を今現在も歩んでおります。

私はあれから一度も私の人生の主役になることありませんでした。

代わりに色々な人の人生の脇役には馴れているかもしれません。
名脇役になれるようにこれからも頑張っていきます。

人生で一番幸福だった、あの朝のような幸せな時間を大切な人に作ってあげられるような、そんな名脇役になっていきます。

そして、大切な人の一番幸福な記憶が私と過ごす時間の中にできてくれたら、きっと私はそれが一番満足だと感じるでしょう。